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 乾淡江とその流れ


乾 淡江

1、乾淡江は、名は角太郎、字は蔵角、角、かく然ともいい、又、百芝山房道人、無礙光斎とも称した。
1、明治7年4月10日山梨県東山梨郡山村大村藤兵衛次男に生る。
1、甲府中学より済世学舎(医学校)に入学、医師を志す。
1、明治27年大阪府三島郡安威村乾家の養子となり、吉兵衛長女フミと結婚し、日ならずして、日清戦役に従軍旅順に赴き海軍軍医部に配属される。
1、爾後、中国に在って用務の傍ら研究した書学と法書、古碑の探求とが、後日の淡江の書法理論の根幹をなしたと見ることが出来る。