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乾 長江は五体全てに渡って卓抜した力量を誇った能筆である。その書法理論の深さと精緻な技術において、具眼の士からは常に惜しみない敬意を払われていた存在であった。一般的には楷書の名手として知られるが、例えば西村西洲・柳田泰雲・松本芳翠といった人々に比べると、ほとんど書壇と関わりを持たなかった。長江が今日、過小評価されている一因は、この徹底したストイックさにあったような気がする。
長江の父淡江は軍医として著名。書家としても一家を成した名士で、戦前の紳士名鑑の常連であった。人間的にも自己に厳しい倫理の人であったという。この気質は息子長江に、より純化されて発現する。慶應大学・法政大学始め、長江の“書法講義”は本物の伝説である。名刹を求めず書法のことわりを追求することが、長江の人生であった。その潔さにこころを打たれる。「秋風之辞」の美しい文字の容姿……贅言は不要だ。
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