日本の書法の大家であられる乾長江先生のご高名はかねがね伺っていた。近来、乾長江先生のご息女の塚本尋女史より、数冊の乾先生の作品選集をご恵贈いただき、私は乾先生の書法芸術を全面的に鑑賞する機会を得た。この名家の筆墨の世界について大いに理解を深めることができたのである。
名声の高い漢字書家として、乾長江先生は、篆書から隷書、楷書から行草まで、いずれにも従容として筆を揮われている。このように全方位にわたっての書道技法を会得している人は、今日の書法界には実に少数である。
書法をそれなりに理解している人なら誰でもわかることだが、楷書はもっとも修練の度合いが問われるものである。乾先生の楷書作品「大学全文」を鑑賞してみよう。二千字余りの全文が、豊かに軽快な勢いで流れるように、しかも疎密の妙趣に充ちて、縦138cm幅65cmの空間に纏められている。一字一字いずれも形は優美で力強い。風格は端正重厚穏健でありながら俊逸瀟灑を保っている。加えて、全幅を通して気迫は巍然として一つになり、大変大きな芸術的魅力を感じさせるものだ。この作品からだけでも全貌を推し量れるのだが、乾先生が長年、唐代あるいは唐代以前にまで遡って研鑽を積まれ、殊に孫過庭の「書譜」の研鑽にも不屈の努力をなさったことがわかる。乾先生が堅実なる正統を受継ぐという基礎の上に、古今の名帖の本質を理解し、著名な書法家の父乾淡江の指導を受けて、この様に完璧に自らの芸術的創造性を発揮されたことに感服するばかりである。そして同時に、多くの名家が語っている「芸を治むるに捷徑なし」との道理を思い起こすのである。
乾先生の作品は、大字は氣勢恢宏、小字は氣韻生動である。実は、技法は心の技なのだ。乾先生は倦むことなく探求されるなかで、新意を体得したといえる。筆・手・心が一体となり、墨は情から入り、筆は性のままに出る。筆端は行雲流水の如く、想いを朗々と謳いあげている。人材が輩出している日本の書法界であるが、ここには独自の境地が切り開かれている。
乾先生の作品をずっと見ていくと、楚辞や唐宋の詩文などがかなりの比率を占めている。屈原の「離騒」、李白や蘇東坡の詩句、文物である石鼓文の臨摸に至るまである。しかも用筆は蔵鋒で內斂は含蓄あり、その深い古文の修養が窺われる。一生をかけて書の探求の旅を続け、非凡なる悟性、群書を博覧し、高潔なる人格の魅力を形作って、終には日本の学者型の書法家としての名をなすに至った。
乾先生は東洋の視覚芸術の一つである篆刻においても独自の境地に達し、先人のやり方に拘らず、時流に阿ることなく、俗に陥らず、かといって自分の殻に閉じこもることもなく、「正平」と「奇異」の間の間合いを把握されている。先生の方寸の世界の中に我々は 「欹側」、「正斜」、「疏密」、「開合」ならびに「分紅布白」の変化に富んだあじわいを感じ取ることができるのである。
書法芸術は日本の民族文化の真髄の一つということができる。乾長江先生と言うこの卓越した書法の大家を偲ぶと共に、私どもは2006年3月に銀座で盛大に開催される「乾長江先生遺墨展」が必ずやすばらしい成功を収めると確信するものである。
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