漢字の書法は、数千年の発展を経て、意味と形象が結びついたものとして世に広く知られている。その線による造形と内容字義の完璧な結合は、「書画同源」「書を心の跡となす」という境地にまで到達している。したがって、漢字の書法芸術は早くも中国の漢代には、国のうちに留まることなく、海を越えて伝わり、東洋芸術の象徴ともなって、文化芸術を愛する各国の人士に愛好されてきた。中国と一衣帯水の近隣として、日本にもおいても多くの教養ある人々が中国の漢字書法芸術を深く愛好し、各書体を研究習得し、兼ねて篆刻にも及んで、終生を通じて探求するに至っても、それを喜びとして倦むことがなかった。それはもとより中日の文字が同じであるということによるのであるが、一方では、大和民族が学ぶことに長けた精神を持っていることにもよるのだと、私はかねがね思っていた。近頃、日本の乾長江先生(1906~1994)の漢字書法芸術作品を拝見し、私のこの考えが間違っていないと再確認した。
乾長江先生は若き日に日本の法政大学を卒業し、以後は書道教育に携わられた。数十年一日の如く、書をもって喜びとされ、終生それは変わることがなかった。
先生の漢字書法は、歳を重ねるにつれていよいよ凄みを増しているが、しかも書巻の気を強く感じさせるものである。遺作を通して拝見し、私が感じたのは、その書法芸術は、胸の内の詩・書がおのずから溢れ出たものであり、胸中に厚く積まれた学識が筆を通して軽やかに表出されていくという、普通の書家にはとうてい及ばない境地に達しているということである。
なによりもまず、乾先生は楷書に長けている。重厚優雅にして平淡天真、筆画の構成は整然と均整がとれ、しかも霊動秀逸の気風を失っていない。端正で質朴なる形をもって、漢字のもつ原義を伝えていて、きわめて健康で美しい。そしてまさにこの基礎の上に、その行書・草書・隷書・篆書の諸体は、いずれもぴたりと落ち着くべきところに展開されている。草書は逸であって散にはならず、行書は暢びやかにして軟ならず、隷書は重厚にして瀟洒、篆書は古風質朴ながら清新である。あたかも、健康で生気に満ち溢れた美男美女の群が、思うままにさまざまな舞踏を繰り広げているようである。興奮あり、含蓄あり、軽快あり、沈静あり、奔放あり、婉曲あり。姿態は一つとして同じでないのだが、それは病んだ男や醜い女などとはまったく無縁であり、そのために、動も静も伸も縮も眉宇の間にはすべてみな健康美がみなぎっている。これこそが、乾先生が楷書の修練においてが非凡なる練磨をされた結果である。
次に、乾先生の書かれた作品は、先秦散文でも秦漢の駢儷体でも、また唐詩宋詞でも明清の格言でもいずれもが形と心を兼ねそなた風貌を呈しており、たとえば「臨石鼓文」では質朴のなかに雄勁なる勢いがあり、これによって今日の人々は周朝金文の刻画の美を思い起こすことができるのだ。また、楷書の「老子第五十三章」では、筆勢にはきびきびとした張りがあり、垢抜けて整然としていて、伸びやかな広がりがあって、質朴で自然な感が際立っている。さらに、行書で書かれた李白の「日照香炉生紫煙」詩では、筆を下すも収めるも実に自在で、濃淡に趣があり、繁簡は混淆して、起伏は奔放で、その上、飄然と仙境に入らんばかりの感すらある。これは乾先生が漢文の文辞の内包するところを深く理解されていたことの結果であり、だからこそ、想いが伝わり、筆に心が宿っているのである。
漢字書法は形をもって心を伝える芸術である。こうした意味から、乾先生の書法芸術は、篆刻作品をも含めてまさしく成功しているといえる。日本の友人によって、かくのごとき境地にまで達せられ、漢文の精神を出色の領域にまで会得されているということは、まことにもって得がたいことである。これは乾先生が畢生の精力を注がれ、書を喜びとされた結果であり、また先生の刻苦勉励された精神の反映であり、さらには先生が中国文化を熱愛された証なのである。中国芸術史を専攻する一学者として、私は先生に崇高なる敬意を表するものであり、よってこの一文を撰し、いささかの感想を述べさせていただいた。
2005年仲冬
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